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Channel: 沖縄での一人暮らし
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45年ぶりの大雪と雪かき

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東京では積雪25センチで、45年ぶりの大雪だと、ニュースが流れていた。

このところの寒気で、路面は冷え切って、降った雪は溶けることなくどんどん積もる。

昼と夕方に2回、マンション前の歩道の雪かきをやってみました。雪かきは長野以来久しぶり。

30分くらい頑張って、戻ってみると、さっき除雪したところがもう積もってる。がーん。

最初は金のスコップでがりがり。歩道のインターロッキングブロックが現れるまでやってたけど。雪国の人は、こういう時に、どこまで除雪するのだろう。

2回目は、雪国仕様の除雪スコップ。ダンプというらしい。これは作業が楽だけど、薄く雪が残ってしまい、歩道がりがりには向かないみたい。

強い風が、地吹雪を起こして、せっかくの除雪を消してしまう。

作業をしていると、音が聞こえたのか、一緒に作業する人が現れるのが嬉しい。

1回目は、60過ぎたおじさん。除雪が見事なほど上手、素早く、丁寧。この方は、朝早く横断歩道で旗を持ってる人。頼りになるね。

2回目は、女性。姉だったので驚いた。母のところに来ていたらしい。そのあと、たぶん親子の女性3人。重たいスコップを持って、すごいなあと思う。

通行人の方が、すれ違いざまに「お疲れ様です。」「ご苦労様。」とか、声をかけてくれると元気が出る。ちょっとしたことなのに、不思議なものだ。

 

夜半を過ぎたのに、まだまだ、降り積もってる。

ー太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。ー

明朝、雪が凍ってしまうと、歩くことも、雪かきも、もっともっと大変になるだろうなあ。


Promised Land

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Robert B. Parker ロバート・パーカーの私立探偵Spenserスペンサーシリーズの作品です。

失踪した妻の捜索を夫から依頼されたスペンサー。駆け込み寺の女性団体にいることを突き止めるが、妻が家出を繰り返していた事実を知ると、根本解決にならないからと居所を夫に伝えず、解雇されてしまう。

その後、団体は、女性解放に必要だとして、武器調達のため銀行強盗を行い、現金を奪い警備員を殺してしまう。巻き込まれ逃走中の妻から連絡を受け、スペンサーは自宅にかくまう。

一方、夫は、不動産販売会社Promised Landの代表を務めていたが、親会社の経営が悪化。顧客からの預り金を担保に取られ、闇組織に資金繰りするものの焦げ付き、身の危険が迫る。

窮地に立たされた妻、夫。銀行強盗・犯人、それを追いかける警察。闇組織。

誰からの依頼も受けずに、スペンサーが描いた問題解決策とは…。

そして、闇組織で雇われていたHawk ホーク。依頼を受けて仕事をする立場だが、自分の主義に反する場合は依頼ではなく自分に従うという、二人に共通する生き方。この事件の解決をきっかけに、今後一緒に行動することに。

スペンサーは、好きなヘンリー・ソローの言葉を引いて、夫Harvのもとに戻るように、妻に言う。

"I don't know exactly.Thoreau said something once about judging the cost of things in terms of how much life he had to expend to get it. You and Harv aren't getting your money's worth.Thrift,I guess.It violates my sense of thrift."

翻訳名:約束の地 

胡蝶蘭 咲いた

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昨年の春にいただいた胡蝶蘭。咲き終わった後、ミズゴケでくるんで小分けしてみました。

6月29日。4株のうち2株の茎が枯れましたが、2株は残っています。

11月になり、室内に取り込んだところ、24日には1株から芽らしきふくらみを発見。

ふくらみがから茎が、毎日少しずつ伸びて、12月16日には花芽をつけてます。

2月25日、とうとう、咲き始めました。

3月5日。きれいに咲きました。

3月8日。2つ揃いました。

ギョーザから総務省家計調査を見てみた。

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ぎょうざ日本一が、浜松か宇都宮か、話題になっています。

いったい、ぎょうざの何を競っているのか、出典の総務省の家計調査を調べてみました。

全国の県庁所在都市と政令指定都市を対象に、サンプル的に世帯(2人以上)を抽出。

品目別に、年間の支出金額を調査しています。結構大掛かりな調査です。

上の図は、3月14日に総務省HPに公表された過去3年間(2011〜13)の平均値の表から、上位10都市をグラフ化しました。

浜松と宇都宮が、他の都市を大きく引き離しています。

年間4500円って意外と少ない気がしますが、調査票を見ると、店で購入した餃子(調理食品)の購入額が対象。

冷凍製品は別集計なので含まれない。また、家庭の手作りぎょうざ(餃子の皮)、餃子店(外食)も含まれていない。

宇都宮は、餃子専門店が多いけど、外食は統計に入っていない。テイクアウトすれば入るんだね。

ぎょうざに関して言えば、競っているけど、そもそも、実態をどこまで反映しているのか、ビミョー。

 

その点、家庭で作れない製品や農水産物は、信頼度が高いね。

以下のグラフは、総務省のHPからコピペ。地域差があって、面白い。

かまぼこは、仙台が倍近く。笹かまぼこが、食卓やお弁当に並んでいるのかな。

梅干しは、紀州の和歌山。塩分とりすぎないようにね。

カステラは、3倍以上の大差で、長崎。お客さんのおもてなし用に購入かな。

こんにゃくは、山形市。年間4000円も。芋煮会かな。

緑茶は、静岡。年間1万円以上も、お茶好き。浜松は2位。

喫茶代が12000円と多いのは、名古屋市。喫茶店が多く、モーニングサービスがお得だからね。

かき(貝)は、ダントツで広島。

かつおは、ダントツで高知。金額も多いね。

かつお節になると、沖縄。出汁に使うんだね。

しゅうまいは、横浜。駅構内で売ってると、つい買っちゃうね。

うなぎのかば焼きは、浜松。意外と僅差なのは、外食するからかな。

そば、うどん(外食)は、高松。14000円も外食してる。

干ししいたけは、大分。

  

など、地域特性を反映していて、納得感のある家計調査でした。

早大通り

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お世話になった方に、挨拶に行った帰り道。

大きなケヤキが植えられている感じの良い通りに出た。

「早大通り」と書いてあった。

ケヤキは新緑が始まっており、誘われて通りを歩いた。

バス停に、蝶々の図鑑が飾ってあった。

桜のような、桃のような、美しい花が満開だった。

調べると、「しだれ桃」というらしい。

弁護士さんと三線

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3月末まで隣の席だった弁護士さんが、大の沖縄ファンで、司法修習の実務地も那覇。

 

夏の間は、毎日、机を並べて、二人そろって、かりゆしを着ていた。

たまに、弁護士さんがかりゆしを切らしてアロハやポロシャツだったりすると、沖縄に対する愛情を切らしたのかと感じた。

 

私は、沖縄の暮らしや琉球の歴史に関して、一定の知識は蓄えている。

弁護士さんも、沖縄の難解な地名・人名の読み方、そして戦争に関して知識が豊富だ。

 

しかし、

沖縄滞在が1年弱なのに、弁護士さんは、三線を持っていた。

沖縄滞在が2年もあったのに、私は三線を持っていない。

 

しかも、

弁護士さんは、三線を弾けるらしい。

さらに、三線を弾きながら、沖縄民謡を唄えるらしい。

私は、三線は弾けないし、沖縄民謡も唄えない。

 

弁護士さんは、かりゆしを切らし引け目を感じた日でも、心の中では「自分には三線がある」と思っていたかもしれない。

 

沖縄ファンの弁護士さんが、2年間の任期を終えて、職場から去った。

私も、後を追うように、1日遅れで、その職場から離れた。

夏の間かりゆし姿が並ぶ「そこだけ沖縄状態」は、もうないかもしれない。

 

弁護士さんは、調査能力・論理構成力が高く、タフで、大量の仕事を遅くまで一人で片つけて、印象深い。

ちょっと難易度の高い要求をしても、必ず、回答を出してくる。さすがだ。

スーパーマンと思ったら、ガンダムファンらしい。

最後の日、送別会の後、上智大の裏の土手で花見をして、四ッ谷駅でお別れをした。

 

沖縄から、通販で三線が届いた。

三線を弾いて、沖縄民謡を唄えるようになりたい。

仙洞御所

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週末に、京都に行ってきました。

京都御苑の中の白ジャリの道をサクサク歩いていくと、仙洞御所(せんとうごしょ)があります。

仙洞御所は、1630年に、後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)の御所として建造されたもの。

後水尾天皇は14歳で天皇となり、33歳で退位して上皇となった。

84歳で崩御されたが、修学院離宮を造営したことで有名。皇后は、家康の孫の徳川和子。

この庭園は、静岡や浜松にゆかりの深い、小堀遠州が作庭したとのこと。

北池にある舟。秋篠宮悠仁様も舟遊びをされたらしい。

南池の出島。当時の様子が、そのまま残っているらしい。

醒花亭(せいかてい)という名の茶亭。

茶亭からの風景が、表紙の写真で、桜と州浜、八ッ橋などが美しい。

 

気になったのは、この写真。

ソテツが植わっています。どういう経緯で、場違いなソテツが植わっているのか。

首里城の琉球庭園は、ソテツ。

家康の承認を得て薩摩藩が琉球王国に侵攻したのが1609年。

その後、琉球王国の文化や植物が国内にもたらされたから、沖縄と関係があるのかな。

京都を掃除する人たち

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美しい街、京都。

掃除する人たちに、たくさん出会いました。

表紙の写真は、哲学の道。

ベビーカーの子供が、母親らしき人が掃除している間に、熊手で掃除の真似をしていました。

熊手を落としてしまい、取ってくれとせがんでいました。

銀閣寺の入口。

銀閣寺。ここだけ、安土桃山時代。

広い斜面。落ち葉を毎日、毎日すべて掃除するのだろうか。

苔むした美しい庭園。

竹の上に載って体重を分散させ、苔を傷つけないようにしていました。

銀閣寺道のバス停の近くの側溝。

掃除しながら、道案内もされていました。

西芳寺(苔寺)の外周。とにかく、落ち葉が多くて大変。

美しい街、庭園は、多くの人が関わっていますね。


ひんぷん山羊料理店

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名護にあるヤギ料理専門店に行ってきました。 オリオンビールの工場前に有ります。 山羊汁です。千円。煮てアクを取った後に、とろ火で3時間煮込むそうです。 グリーンピース入りのご飯が合います。 「お母さんは、元気ですか?」と尋ねると、お母さんが奥から出てきて、前の席に座ってくれました。 「四年前が81歳だったから、今年は85歳、お元気ですね。表のヤギさんの看板が無いけど、どうされたんですか?」 「台風で飛んで行ってしまったさ。探したけど、見つからなかったさ。」 ストリートビューで見たところ、ヤギそば始めましたと看板に書いてあった。汁と刺身に、そばが加わって、メニューは3種類。オリオンビールの工場見学のあとだと、ヤギそばがいいかも。500円。 お母さんはテレビを見ながら 話し相手になってくれました。子供たちや内地にいる孫のこと。旅行のことなど。いつの間にか客は1人に。 完食です❗️ 「美味しかった。」 「ご飯あげるね。」と自家製のジューシーをお茶碗によそってくれました。 炊き込みご飯と炒飯の両方の美味しさ。 こちらはメニューには無いそうです。惜しい。 おばあの元気な顔が見えて、お話もできて、美味しいヤギ汁とオリオンビール、自家製のジューシーまでご馳走になって、今日はとてもいい日だった。

首里城の新たな施設オープン

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今年の1月にオープンした建物を見てきました。

正殿と南殿をつなぐ黄金御殿くがにうどんが見えます。国王の寝室だったところです。
近づくとこんな感じです。

建物の一階部分に穴が開いていますが、クラシンウジョー です。テンペストで、主人公が男女入れ替わるために出入りした廊下です。


覗いてみると、左奥にげらゑの間らしきドアが。なかなかやるもんだ。
南殿から東を見たところです。
右が奥書院で左が近習詰所。きんじゅうつめしょは国王への取次ぎを行う場所


奥書院は9畳に床の間1畳ですが、眺めがいいですね。風が抜けていき心地よいです。国王の隠れ家的な存在だったところだそうですが、中国と日本の二重支配で、内政問題も含めて、このような落ち着く場所が必要だったのですね。 右が書院で左が琉球庭園。 奥書院庭園の物見台に上がると遠く那覇港や久高島が見えたのでしょうか。 奥が二階御殿にーけーうどんで国王が日常生活を過ごした場所。 こちらは寄満 ゆいんち 調理場ですが、中の記録が残っておらず外形復元して、中は倉庫だそうです。



首里城は国王の生活空間や執務室が整備されて魅力が増してきましたね。 一日、五回程度無料ガイドがあるので、じっくりと教えていただき、どうもありがとうございました。

備瀬崎養殖所のアオサ(ひとえぐさ) です

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毎年アオサを注文して、自宅や職場に送ってもらっていた。とてもいい香りがして、安くて美味しい備瀬崎びせざき養殖所。
しかし、今年届いた請求書には「直接買いに来て下さい」と書いてあった。

それで 買いに来たよ。

おじさん 喜んでくれた。
京都の宇治のかぶせ茶をお土産にあげたら、もっと喜んでくれた。

海ぶどうと魔除けの貝殻をくれた。
魔除けは、おじさんの右後ろにも有るよ。
絶え間無くダジャレを飛ばすおじさん
ちょっと、年取ったような気がする。
海の仕事は体にキツイ。
おじさん 体を大切にしてね。

沖縄の自然が作った港

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サンゴ礁に囲まれた沖縄は、台風の荒波もサンゴ礁が静めてくれますが、大型船はサンゴ礁に阻まれて接岸出来ません。 波が立っているのがサンゴ礁の外側で、サンゴ礁の中では波が消えています。 例外は、河口部にあり潮の満ち引きの影響を受ける那覇港と、名護の北側にある運天港。 運天港は、羽地内海の大量の海水が潮の満ち引きで出入りする狭い海峡にあるため、サンゴ礁が出来にくい。 ペリーの黒船も両方の港に立ち寄っています。今もフェリーの発着場です。 今帰仁の橋から羽地内海を見たところ。 周辺の状況図です。 嵐山展望台から、全体が見渡せます。  

パイナップル畑に異変が

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東村のパイナップル畑に行って見ました。慶佐次(げさし)の近くです。
以前見た時(その時の記事)は、一面にパイナップル畑でしたが、どういうことなのか、荒れ地が多かったです。


単に、作付け時期前なのかなと思って調べたら、3月にはつぼみが出ていないと、夏には実がならない。

4月下旬なのに、畑が荒れているのは心配だ。
地元の人に聞くと、加工用パイナップルの出荷価格は、1個たった60円で、全く利益が出ない状態らしい。
炎天下で、大変な作業なのに、これでは誰も農業を続けることは出来なくなる。

そういえば、東村のパイナップルを毎年注文しているが、2年続けて郵便局のふるさと便が取りやめだった。
今後も、このようなパイナップル畑が荒れ地のままだとしたら、悲しい。

品種改良で美味しいパイナップルを作って、消費者も農家の人も喜ぶような方策は、考えられないのだろうか。

見慣れない標識があった。「馬に…」とある。馬のエサ代も出ないよ。

少し移動したら、パイナップルを作っている畑もあった。蕾があるのか確認できなかった。

葉が少し元気ないように見えるけど、美味しいパイナップルができるといいね。

大保ダムが作る街

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大宜味村(おおぎみそん)に2011年3月に竣工した大保(たいほ)ダム。

沖縄では、福地ダムに次いで2番目の容量を持つ大きさです。

下の写真は、2006年10月の定礎式の建設現場。今のダム湖の底から見上げる感じでしょうか。

この後、約2年かけてコンクリートを打設してダム本体の建設が始まり、その後さらに2年かけて湛水を行い、竣工しました。

ダム建設により生じた大量の土砂は、どこに持っていかれたかというと、塩谷湾の北側、国道58号線の外海の埋め立て事業に使われました。

埋立地が現在どうなっているか、行ってみました。

地盤がすでに安定し落ち着いたのでしょうか、村営住宅が建設されていました。

こちらは村営診療所です。以前の診療所より、大きな施設で、リハビリ施設や薬局も併設してありました。

 

そのほかの施設は、見たところ、公園や道路などの公共施設ができていました。

大宜味村は海に山が迫るで平地が少ない地形で、国道58号線に集落があります。

ダム建設に伴い、約40ヘクタールの広大な平地が生まれましたが、これからどんな街が形成されていくのでしょうか。

松を守る道路

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今帰仁村の国道です。

見事な松が、数本、歩道に植わっています。

コンクリートやアスファルトで、松の根元が固められると、松はやがて枯れてしまうのですが…。

近づいてみると、不思議な構造になっていました。

松の根元はグレーチングで囲まれています。「樹木は、倒れないよう、樹冠の半分くらいまで根を拡げて張るもの」と言われていますので、これは明らかに小さすぎます。

一方で、横に、歩道の側溝に使われるグレーチングが10枚程度、設置されています。何のためでしょうか。

根元を見ると、あれっ、歩道自体が浮いていました。

松の根元には、大きな地面が見えます。

下に降りて、横に回って見て、納得しました。

松の根元をコンクリートで固めないように、ブロックしています。

道路は、道路交通や安全上の理由から線形を確保する必要があり、支障となる樹木は伐採されたりすることが多いのですが、今帰仁村のこの道路は、特別の工夫により松を守っています。

理由を調べて見ると、由緒ある松だということがわかりました。

 

近くには、仲原馬場(なかばるばば)があって、蔡温松(さいおんまつ)とも呼ばれています。

樹木医を認定している日本緑化センターのサイトです。松原の今昔物語外伝

沖縄北部の山を守り、治水を行った歴史は、こちらの過去記事をご参照ください。

蔡温の松並木


沖縄の茶畑と開墾の歴史

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嵐山(らんざん)展望台の近くに、大きな茶畑がありました。

沖縄で、茶畑とは珍しい。

近くにあった、開拓の記念碑を読みました。

「蘇る大地」  (以下、碑文より抜粋)

以前は、森林資源としての価値がほとんどない薪炭林。
終戦直後、先見の明のある人が、山地利用による換金作物に着目して、お茶栽培を計画。

昭和25年に、村有地を借り受け、農協経営により鍬とツルハシで肥料や敷き藁を背負って、重労働で開拓。

六町歩(1町歩は約9900平方メートル)の茶園と、四町歩のパイン園を開いた、血と汗の結晶。

昭和37年に、村有地を買い受け、39年に組合員に分譲。

しかし、開墾地は起伏が激しいため、本格的な嵐山土地改良事業を実施し、茶、パイン、きび、花卉園芸等の産地として飛躍した。(1991年5月)

パイン園もあります。

沖縄で困ると言えば、水不足。農作物も同じです。

干ばつ被害から守るとともに、洪水時に羽地内海に土砂が流入しないように、環境保全型の土地改良が進められているそうです。

嵐山展望台の地図は、よく見たら、ダムからの水路が描かれていました。

平成18年に完成して、羽地ダムから、このあたり一帯だけでなく、屋我地島や古宇利島へも、水が引かれているんですね。

 

美しい風景だけでなく、この風景を積み重ねてきた歴史が、展望できました。

知念城

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8年ぶりに、知念城(ちねんぐすく)に行きました。

前回は、発掘調査中でしたが、前回の記事:東御廻い(あがりうまーい)(3) 城壁が修復されていました。

空の青さが美しいね。

アーチは、木枠で補強しています。

琉球の城は、内地と異なって、曲線を描く城壁が、特徴的ですね。

様々な方角から吹き荒れる台風の強風がもたらす力を、分散させる効果があったようです。

機能美ですね。

ごつごつした岩盤のような古い城壁と修復した石組み。

近くには、知念岬の展望台があります。海が美しい。

久高島(くだかじま)も、よく見えます。

久高島は、創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めたという、聖地の島です。

沖縄レンタカーではGoogle Mapsが便利

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沖縄の観光には、レンタカーが不可欠です。

ほとんどの車には、カーナビが搭載されているので、安心と思ったら、意外と使いづらい。

目的地は、沖縄限定ではなく、全国の都道府県の中から選択するという、超めんどくさ。

目的地の電話番号入力が、一番手っ取り早いけど、電話が必ずあるとも限らない。

それに、搭載されている情報も、常時更新されているわけではなさそう。

 

そこで、スマホのGoogle Mapsグーグルマップを併用してみました。

目的地を入力し、自動車マークをタッチして、「ナビを開始」を押すと、地図とともに音声ガイドが流れます。

カーナビの音声ガイドと、競うように、スマホの音声ガイドが、流れます。これは安心。

 

しかも、下の地図のような、左折して、すぐに右折するような経路の場合、

カーナビは、「次、左方向です。」というだけで、その先の右方向を教えてくれない!のに対し、

スマホは、「左方向です。その先、右方向です。」と、二つまとめてアナウンス。すごい!

カーナビでは、その先を曲がらず通り過ぎてしまうので、スマホの勝利。

さらに、こんな場面も。

カーナビは左折、スマホは右折と、ガイドが逆になった!

まあ、どちらでも、着くのでしょうと、気楽に構えていましたが…。

空港近くの沖縄自動車道では、カーナビに裏切られました。

スマホの指示は「直進」で、カーナビの指示は「次の出口」で降りる。

レンタカーの空港営業所が目的地でしたので、カーナビの方を絶対的に信頼していましたが…。

 

沖縄自動車道の空港寄りの出口はまだ新しく、スマホには最新情報が反映されていたものの、カーナビは古い情報だったため一つ手前で降りてしまった。

もし、車の返却時間が迫っていたら、嫌な思いをしたかも。

そんなわけで、レンタカーを使う際には、スマホのカーナビの併用も、お試しあれ。

 

もちろん、内地でも、おんなじですね(笑)。

GODZILLAが世田谷に現る

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ハリウッド版のゴジラ「GODZILLA」が5月16日から全米で公開される。(日本は7月25日)

ゴジラの権利を所有している東宝のスタジオ(世田谷区成城)に、GODZILLAが出現中です。

現在進行形なのは、まだ、作業中。公開に間に合うかな。

こんな大きな壁画は、どうやって描くのでしょう。

近づくとわからなくなりそうです。相当な技量がありますね。さすが、東宝のスタッフ!

ところで、たった一人で制作しているのでしょうか?

しかし、引いてみると、青空にGODZILLAは映えますね。

このまま、動き出すような、感覚に襲われます。

すぐ隣は、東宝スタジオの入口。

敷地の入口には、ゴジラの銅像がありました。

偶然バスの車内から見かけて、戻って、撮影しました。

辺野古の風景(2)

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5年ぶりに、辺野古の風景です。

周辺の土地は、どんなところなのか、見てみました。

この信号を、右折します。右斜め前の一帯は辺野古地区です。

道路沿いで、海が見えるところに、平和之塔がありました。

支那事変(しなじへん)1937年から太平洋戦争1941年までの、国難に殉じた英霊と一般犠牲者を合祀し、鎮魂と冥福を祈り、終戦50年を機に設立したと記されています。

河口の先にある海に浮かぶ島々が、基地予定地です。

辺野古の風景(前回の記事)は、現地に近づいた時のものです。

辺野古の街並みです。小さな漁村でしたが、丘の上にも街並みがあります。

少し足を延ばして、南側の土地利用を見てみました。

畑地帯となっています。

サトウキビなのか、サツマイモなのか…、植えつけ後です。

土は、赤土です。

辺野古の、丘側の入り口です。

先ほどの交差点を直進し、次の信号を右折した、米軍キャンプに近い方です。

ようこそ 辺野古商店街 とあります。

その下に、1957年に、辺野古地区の土地開発事業に協力してくれた米軍のアップル中佐をたたえた表示があります。

北上し、反対側の大浦湾から、辺野古基地予定地を展望しました。

正面の岬が、米軍基地のキャンプ・シュワブ。

左の出島にかけて、新滑走路が計画されています。

パノラマ写真です。

今日は、5月15日。1972年5月15日の本土復帰から、42年を迎えました。

 

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