北海道開拓の村のすぐ近くに、北海道博物館があります。
【北海道博物館】
1971年に開館した北海道開拓記念館と1994年にできた道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、2015年4月に開館。
28名の学芸員・研究職員を擁し、アイヌの歴史や有形・無形の文化に関する専門的研究組織も持つ研究博物館。迫力あるね。
65歳以上は入館無料。嬉しいね。

マンモスゾウ
威圧的な牙。先が内側に丸まっているから戦闘には向かないかと思ったけど…。
牙の間には、長くて太い鼻があった。
鼻で敵を上にすくい上げると、ちょうど鋭い牙に引っかかって、敵はやられるね。怖いね。
ナウマンゾウ
数万年前まで東アジアに住んでいた。
この骨格標本は十勝地方で発見された化石で、全国から集まった研究者とボランティアによって発掘された。やるね。
「ポケット学芸員」
博物館にある解説文は、アプリでどこでも見れると、学芸員の方に教えて貰った。
早速ダウンロードしてみた。


和人の砂金掘り 江戸時代のはじめころ、砂金を求めて本州から多数の金堀り夫が渡ってきて、9箇所の採掘場では川の流れを変えたり、汚した。 サケ漁ができなくなり、冬の食料不足やサケとの交易品不足でアイヌの生活は苦しくなった。

カラザケ100本と米1俵
松前藩はアイヌ民族のカラザケ100本に対し、米1俵を交換していた。 しかし、1665年に一方的に価格改定し、1俵は左側の30kgから右側の10kgに半分以下になり、アイヌ民族の不満が募った。


戦いに参加したアイヌ民族の村と首長の拠点

和人の墓と弔いのイチャルパ(先祖供養)


ロシアとの国境 1855年 日魯通好条約 択捉島とウルップ島の間を国境とすることを、日露両国が調印。 <北方四島は日本>

1875年 樺太・千島交換条約 日本が樺太を放棄し、ロシアから千島列島を譲り受けることを、日露両国が調印。 <北方四島は日本>

1905年 ポーツマス条約 日露戦争の結果、南樺太を日本の領土とすることを、日露両国が調印。 <北方四島は日本>

1951年 サンフランシスコ平和条約 日本は南樺太、千島列島を放棄。ソビエト連邦が調印を拒否。 <北方四島は千島列島に含まれず、日本>

北方四島は、我が国固有の領土。しかし、実効支配されている。
ロシアの主張
1945年2月のヤルタ会談(ソ連、米国、英国)で、連合国に要請されてソ連の対日参戦が決まった。
その際、クリル諸島(千島列島で択捉島、国後島を含む)のロシア領有が含まれていた。