Quantcast
Channel: 沖縄での一人暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 757

サラワク博物館(3)-日本軍

$
0
0

日本政府発行の5ドル札 The Japanese Government 5dollars

初めて見た。

 

ブルック王国は、建国100年のお祝いで賑わった1941年12月、日本軍による空爆を受け、5日後にクチンは陥落した。

1942年1月には、ボルネオ島全体が日本軍に占領された。

そして、お札や地図が発行された。

「標準大東亜分図 ボルネオ」とあります。

今の地図と比較すると、いろいろなことがわかってきます。

航路(赤線)は、日本とシンガポール、マラッカ海峡を通じてインド洋へ。

交通の要所を、固める必要があった。

それに、ボルネオ島では石油資源が発見されており、資源供給の重要拠点でもあった。

「戦争が進むと、クチンに住む人の多くが、食料調達のために田舎に移動した。

 日本軍は、クチンにボルネオキャンプ捕虜収容所を作り、市民や軍人を収容した。

 1945年8月17・18日、日本軍は捕虜収容所を撤収予定だったが、8月15日に日本政府が降伏したことで、多く捕虜収容者の命を救った。

 戦後、サラワクは、大きな政治的変化を経験する。

 最初は、100年以上続いたブルーク支配の終わりだった。」

戦後、英国は、マレーシアをブルック王国以上の、強力な植民地として支配しようとした。

 

これに対し、ナショナリズムが芽生えたサラワクでは、反政府運動 anti-cession movement of Sarawak が1946年から1950年まで続いた。

白人支配体制を、アジアの同胞である日本が打破したことも大きな要因とされる。

英国もマレーシアからの撤退を検討し始め、マレー半島を含むマラヤ連邦が1957年に独立した後、1963年にサラワクもマレーシア連邦に加わって、英国支配から独立した。

 日本兵士の石河惣七 さんが日の丸に残した「祝 平和到来」がやっと訪れた。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 757

Trending Articles