日本政府発行の5ドル札 The Japanese Government 5dollars
初めて見た。
ブルック王国は、建国100年のお祝いで賑わった1941年12月、日本軍による空爆を受け、5日後にクチンは陥落した。
1942年1月には、ボルネオ島全体が日本軍に占領された。
そして、お札や地図が発行された。
「標準大東亜分図 ボルネオ」とあります。
今の地図と比較すると、いろいろなことがわかってきます。
航路(赤線)は、日本とシンガポール、マラッカ海峡を通じてインド洋へ。
交通の要所を、固める必要があった。
それに、ボルネオ島では石油資源が発見されており、資源供給の重要拠点でもあった。
「戦争が進むと、クチンに住む人の多くが、食料調達のために田舎に移動した。
日本軍は、クチンにボルネオキャンプ捕虜収容所を作り、市民や軍人を収容した。
1945年8月17・18日、日本軍は捕虜収容所を撤収予定だったが、8月15日に日本政府が降伏したことで、多く捕虜収容者の命を救った。
戦後、サラワクは、大きな政治的変化を経験する。
最初は、100年以上続いたブルーク支配の終わりだった。」
戦後、英国は、マレーシアをブルック王国以上の、強力な植民地として支配しようとした。
これに対し、ナショナリズムが芽生えたサラワクでは、反政府運動 anti-cession movement of Sarawak が1946年から1950年まで続いた。
白人支配体制を、アジアの同胞である日本が打破したことも大きな要因とされる。
英国もマレーシアからの撤退を検討し始め、マレー半島を含むマラヤ連邦が1957年に独立した後、1963年にサラワクもマレーシア連邦に加わって、英国支配から独立した。
日本兵士の石河惣七 さんが日の丸に残した「祝 平和到来」がやっと訪れた。