インドネシアに伝わる、Joyoboyo prophesy ジョヨボヨの預言というのがあります。
「インドネシア人は約300年間、白人によって支配されるが、黄色い小人がやってきて追い出し、しばらくするとインドネシアの国王が復活する。」
インドネシアは、1602年にオランダによる植民地支配が始まった。
それから330年後の1942年に、日本軍がオランダ領インドネシアを占領し、白人支配が終わった。
この時、「ジョヨボヨの預言が的中した」と、多くのインドネシア人は街で踊り、日本軍を歓迎した。
According to a selectively abridged set of stanzas within a Joyoboyo prophesy (all are extremely long epic poems):
"The Javanese would be ruled by whites for 3 centuries and by yellow dwarfs for the life span of a maize plant prior to the return of the Ratu Adil: whose name must contain at least one syllable of the Javanese Noto Negoro."
When Japan occupied the Netherlands East Indies, in the first weeks of 1942, many Indonesians danced in the streets, welcoming the Japanese army as the fulfillment of the prophecy ascribed to Joyoboyo.(wiki)
ボルネオ島の南半分はインドネシアで、言葉や民俗文化が近いマレーシアの人々にも、ジョヨボヨの予言が言い伝えられていました。
そのため、1941年に日本軍がサラワクを占拠し、100年続いた英国支配を終わらせたとき、多くのマレーの人々に歓迎されたと言われています。
サラワク博物館に展示してある日本兵の遺留品「祝 平和到来」は、そういう意味で書かれたのかもしれませんね。
そして、そのことをマレーシアの人に伝えたいのかもしれませんね。I wish peace comes.
博物館では、「この日章旗は、バトゥ・リンタン捕虜収容所の菅 辰次( Suga Tatsuji)陸軍大佐のオフィスに掲げられていた」とあります。
「菅 辰次(すが たつじ)」については、日本語ウェブサイトでの情報は少ないので、上記wikiから抜粋すると、以下の通りです。
菅大佐は、広島出身で、米国シアトルのワシントン大学に留学し、高校で英語教師を務めていたことから、英語力が役立つ捕虜収容所勤務を志願した。
6人の子を大学に行かせるほど教育熱心な親であり、英国・オーストラリア人の捕虜や被抑留者の収容所でも人道的な行動が記録されています。
母子収容所にいた作家アグネス・キース Agnes Newton Keithが収容所生活を Three Came Home「3人は帰った」として出版し、1950年米国で映画化。
アグネスによる菅の人物像は、小柄な男、ワシントン大学卒、芸術理解者、第一次大戦の勲章受章者、スキンヘッドの軍人、糖尿病患者、子供好きの兵士、大きな剣を持つ小さな男、神道に生まれカトリック、英雄と嘲笑、愛国者、ボルネオの捕虜および被抑留者の司令官。
映画化された際、菅大差の役は当時ハリウッドの人気俳優だった「早川雪舟」が演じた。
しかし、8月6日に家族がいる広島に原爆が落とされ、家族が全滅したと悲観し、9月16日、60歳の誕生日を目前にして自殺したそうです(wiki)。