5年ぶりに、辺野古の風景です。
周辺の土地は、どんなところなのか、見てみました。
この信号を、右折します。右斜め前の一帯は辺野古地区です。
道路沿いで、海が見えるところに、平和之塔がありました。
支那事変(しなじへん)1937年から太平洋戦争1941年までの、国難に殉じた英霊と一般犠牲者を合祀し、鎮魂と冥福を祈り、終戦50年を機に設立したと記されています。
河口の先にある海に浮かぶ島々が、基地予定地です。
辺野古の風景(前回の記事)は、現地に近づいた時のものです。
辺野古の街並みです。小さな漁村でしたが、丘の上にも街並みがあります。
少し足を延ばして、南側の土地利用を見てみました。
畑地帯となっています。
サトウキビなのか、サツマイモなのか…、植えつけ後です。
土は、赤土です。
辺野古の、丘側の入り口です。
先ほどの交差点を直進し、次の信号を右折した、米軍キャンプに近い方です。
ようこそ 辺野古商店街 とあります。
その下に、1957年に、辺野古地区の土地開発事業に協力してくれた米軍のアップル中佐をたたえた表示があります。
北上し、反対側の大浦湾から、辺野古基地予定地を展望しました。
正面の岬が、米軍基地のキャンプ・シュワブ。
左の出島にかけて、新滑走路が計画されています。
パノラマ写真です。
今日は、5月15日。1972年5月15日の本土復帰から、42年を迎えました。