パリで自由行動なら、美術館巡りだね。
ネットでは入場予約が取れなかったオルセー美術館に、朝一番で行くことにした。
google mapsで、乗車駅、行き先、降車駅などを調べて、初めて乗る地下鉄に挑戦。
地下通路が凄い。 白いレンガ調タイル、緑のストライプ、壁に埋込照明、床も塗装されて、おしゃれで工事単価が高いな。地上に出ると、建物の高さ、色調、デザインが統一された街並み。おしゃれやん。 縦型の信号機に標識もスマートでいいね。日本と違うな。 道路は一方通行にして、両サイドに駐車帯。自転車置場もある。 よく見ると、横断歩道の白線が、歩道側にはみ出てるやん。
美術館は9:30開館だが、9:00に到着。 オルセー美術館のチケットは、時間指定で購入可能だが、数週間前から満杯で予約できなかった。 当日券は混雑するので、「パリ・ミュージアムパス」をインターネットで購入した。 パリ・ミュージアムパスは57.48ユーロ(9,390円)。2日間(最初の入場から48時間以内)で、30以上の美術館などがフリーパス。 さらに、団体用のC1ゲートから優先入場できる。先頭に並んで開場を待つ。 美術館前の広場は、ムダな告知板や案内がなく、美しい。 赤いジグザグ順路は、当日券を購入するC2ゲート用。
9:30に開館。入場券を持たないC2より先に、C1ゲートが開く。 保安検査・手荷物検査を受け、入場。日本語のパンフレットをゲット。
オルセー美術館 1900年の万博で建てられたオルレアン鉄道の駅舎を改築し、1986年に完成。 1848年から1914年にかけて作品、特に、ルノワール、モネ、ドガなど人気の高い「印象派の作品」を展示。 写真撮影は自由。嬉しいね。たくさん、写真を撮りました。 印象派とは 絵具がチューブ式になり、アトリエから外へ出て屋外で絵を描くことが可能となった。風景を直接観察し、天候で変化する光や色彩を表現することが、新たな芸術運動となった。 しかし、フランス芸術アカデミーは、歴史的題材、肖像画、宗教画が主流であり、印象派の描く風景画や静物画は軽んじられた。 サロン・ド・パリ(展覧会)の審査会では、印象派は全く評価されず、絵が売れない画家達は経済的に困窮した。 2024年には、印象派誕生150年を記念しフランス国内での巡回展が予定されている。 エドワール・マネ Édouard Manet(1832 - 1883) 印象派の画家に影響を与えたことから、印象派の指導者あるいは先駆者として位置付けられている。 笛を吹く少年 Le Fifre 1866年 ヨーロッパで主流だった立体感のある遠近法に対し、浮世絵の平面的な表現を使用した。 ジャン・フランソワ・ミレー Jean-François Millet (1814-1875) 写実主義。農民画。農民生活や窮状を描いた。印象派に影響を与えた。 「結局、農民画が私の気質に合っている。社会主義者とのレッテルを貼られることがあったにしても、芸術で、最も私の心を動かすのは、何よりも人間的な側面なのだ。(1851年知人への手紙)」 サロン・ド・パリ(展覧会)の審査員として、1870年にモネの作品を支持したが、モネは落選。 落穂拾い Des glaneuses 1857年 旧約聖書には「収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者のために残しておかねばならない。」 収穫を手伝った農民が、残された落ち穂を拾う権利があったが、1854年、地主達はこれを廃止しようとした。
晩鐘 L'Angélus 1857-59年 「かつて私の祖母が畑仕事をしている時、鐘の音を聞くと、いつもどのようにしていたか考えながら描いた作品です。彼女は必ず私たちの仕事の手を止めさせて、敬虔な仕草で、帽子を手に、「憐れむべき死者たちのために」と唱えさせました。(1865年ミレー談)」
グレヴィル教会 L'église de Gréville 1871年から1874年の間 生まれ故郷のグレヴィルの教会を描く。病気で健康が悪化し、1875年1月に死去。
ピエール・オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir(1841-1919)
アルフォンシーヌ・フルネーズ Alphonsine Fournaise 1879年
レストランの主人の娘の名前。
「印象派はサロンに応募すべきでない。」とドガは主張したが、経済的に苦しいルノワールは、入選したら作品が売れるサロンへの応募が切実な問題だった。
太陽光があふれる川面で、光のとらえ方、表現が巧み。
静物画 Nature morte 1885年頃 コロンナ・ロマーノ Colonna Romano 1913年頃 リューマチで車椅子生活となり、動かない手に絵筆を縛り付けて画いていた。
後ろ姿の横たわる裸婦、浴後の休息Nu couché, vu de dos、 Le repos après le bain 1916-1917年頃
裸婦を数多く描いたルノワールの晩年の作品。
ジョルジュ・スーラ Georges Seurat(1859-1891) スーラは、印象派の画家たちが用いた「筆触分割」の手法をさらに進め、「点描技法」にたどりついた。
サーカス Le Cirque 1891年
縦1.8m横1.5mの大作で使われている色も赤、黄色、青の3色。
スーラの最後の作品。この作品を完成させることなく、1891年のアンデパンダン展※の開幕から数日後に亡くなった。
※ サロンに対抗し、誰でも自由に審査無しに出品し、作品評価を来場者に直接問うことが出来る展覧会
ギュスターヴ・カイユボット Gustave Caillebotte(1848-1894) 上流階級の家で生まれた。第3回印象派展を開催。 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」など印象派の仲間の作品を購入して支えた。 透視図法と写真のような緻密な仕上げを行い、印象派よりもサロンの価値感に近かった。 舟遊び Partie de bateau 1877-1878年頃 ギュスターヴ・カイユボットの傑作で、国宝指定後に、LVMH(モエ・ヘネシー、ルイ・ヴィトン)が2023年に43ミリオンユーロ(約60億円)で取得し、美術館に提供。 絵を見る人がボートに乗っているかのような、絵画の空間と鑑賞者の空間の距離をなくすことを目的とした独自の没入型フレーミング。 第4回印象派展に出品したが、当時は単純な「現実の写真」と言う人もあり、多くの批判を浴びた。
ひまわり、プティ・ジュヌヴィリエの庭 Les Soleils, jardin du Petit Gennevilliers 1885年頃 「モネのように画家兼庭師となり風景画に新しいスタイルを構築。縦長のキャンバスの選択や、近景と遠景が並列させた平らな空間の効果、作品の端をカットし見る人を絵の中に入り込ませる構図。日本の版画や写真の例に触発されたのかもしれません。(オルセー美術館の作品解説)」
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau(1844-1910) 素朴派。下手な画家と評される。パリ市の税関に22年に勤務。退職後に多くの絵を描いた。 遠近感がほとんどなく、樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれている。 一見稚拙に見える技法を用いながらも、彼の作品はパブロ・ピカソからも評価された。 蛇使い の女 La charmeuse de Serpents 1907 「主題は、不穏なエデンの園にいる黒いイブで、創世記の蛇が魅惑的だったのと同じくらい恐ろしい蛇の魔術師。そして、率直で濃密な色彩、マグリットを彷彿とさせる逆光、素朴で正確なライン、革新的な左右非対称の垂直な構図など、スタイルがあります。
人物、動物、幻想的な植物の装飾は、均一で細心。奇妙な静寂の中で凍りつく。この絵の幻想的な世界は、シュルレアリスムの先駆け。(オルセー美術館の解説)」
モネの作品は、たくさんあるので、別の記事に。 地下1階のカフェ・ド・ラ・ガールで軽食。ドリンクを付けて一人分12.5ユーロ。2000円。
オルセー美術館は、お気に入りですね。