今日は、浜松へ行って、お世話になった方と、永久のお別れをしてきました。
仕事場が隣で、夜遅くや休日によく出会った。部下が帰っても、自分自身が納得できるまで一人残って仕事をしていた。「どうされたんですか。」と尋ねると、「仕事が遅いもんで…」と自分のせいにするのが口癖だった。
膨大な資料の中から必要な情報を直ちに取り出して、的確に状況を解説できる素晴らしい努力をしていた。何を聞かれてもすぐに出てくるので、まるで「ドラえもんのポケット」だと思った。
浜松のことをたくさん教えていただいた。現場を少しでも知ろうと、休日に自転車で現場を回っていたが、そのことが新鮮に映ったのか、とても驚いていた。
Ipadに資料を入れ、ドラえもんのポケットをさらに進化させていた。出始めなのに仕事でもう使いこなす様子に触発され、私もIpadを買ったが、使いこなすことはできなかった。
久しぶりに浜松を訪れた際、「美味しい蕎麦屋がある。」と、遠くの佐久間の北条峠まで、わざわざ車を運転して連れて行ってくれた。
実家で採れたといって、白玉ねぎやサツマイモを送ってくれた。付き合いをとても大切にする方だった。
苦労人だった。中学生のころ、自宅が火事になり、普通高校に進学できなかった。
働きながら定時制の工業高校に通い、みんなより少し遅れて大きな会社に入った。
まじめな性格と人柄の良さ、的確に仕上げる仕事ぶりが、多くの方から評価された。
ガンを患って手術したが、人工器具を装着して、頑張って責任のある立場をこなした。
皆に認められ出世して、とうとう、 大会社のナンバー2にまで、登り詰めた。
引退して2年。孫の写真を自慢する好々爺だったが、十数年ぶりにガンが再発した。
3ヶ月の闘病生活の間、娘さんの結婚式に車いすで出席し、元気な様子を見せた。
その後、燃え尽きたように、この世を去ってしまった。
遺影の笑顔を見ながら、出会いのこと、一緒に仕事をしたこと、お酒を飲んだこと、
「そうだら〜。」という、独特のやさしい方言を、思い出していた。
出会えたことに心より感謝します。ご冥福を祈ります。合掌。